深圳歴史博物館(新館)
深圳歴史博物館について
深圳の華強北にエキサイトした後は、深圳歴史博物館を観に行くと、現在の深圳の歴史的(+地理的)なロケーションについてのより俯瞰した視点を獲得できて更に面白いのでお勧めしたい。私は第6回ニコ技深圳観察会(2016年10月) のときに個人的に行った。
場所は、深圳図書館とか少年宮とか、あと最近MOCAPEっていうコープヒンメルブラウが設計した完成間近の現代美術館が建ってるエリア。深圳市民中(役所)の建物の中。
展示空間の区分けは、古代、近代、民俗誌、改革開放史に分かれているんだけど(古代、近代、民俗誌は、どこの県の博物館にもよくある感じのやつで、私は教養が無いのでそれほど楽しめなかった。)改革開放史のコーナーは世界中探してもここにしか無さそうなオモシロ展示でした。1980年の改革開放以来たった30年ちょっとの歴史を写真や現物資料やジオラマやブロンズ、蝋人形など使ってコレでもかと展示する力の入れようなのです。
深圳博物館の位置付けについては、伊藤亜聖さんのブログを読んで、私はとても勉強なりました。
ということで、以下は私の小並感になります。
人が重いコンダラ状のコンクリートの丸太を転がして開拓スタート
伊藤亜聖さんのブログに書いてあるとおり、『「改革開放の第一の号砲」とも呼ばれている、蛇口の山を爆破』したあと、いきなり人がコンクリートの丸太を転がして開拓し始めたのがガツンと来ました。
このブログ記事冒頭に土を耕す牡牛のブロンズの写真を載せてます。それは展示空間入り口の初っ端に展示されている奴なのですが、そのブロンズとこの男たちの写真は呼応してると思うんですよね。とても印象深い写真です。
1980年前後から、なにもない更地にいきなり都市を作り始めるところから展示が始まってます。
@tks さんも深圳歴史博物館はお気に入りらしく、曰く「深圳は壮大なシムシティ」
深セン
— GOROman マチ★アソビ (@GOROman) 2017年4月4日
1985年 (スーパーマリオが出た年)
2012年 pic.twitter.com/YCAz48HocL
これは開拓当時に建築家が描いた華強北路(の国際貿易センター?)の完成予想図
ああこれさっきまで居た華強北だ。実現してしまってる。って思うと、ジーンとくるものがある。
深圳的開發和經驗證明中國建立經濟特區的政策是正確的 鄧小平 一九八四年 一月二六日
「深センの発展と経験は、経済特区の政策が正しいと中国が確立していることを証明します」 鄧小平の直筆の言葉がネオンサインになっててかっこよかった。
改革開放を指導した鄧小平同志と一緒に記念写真も撮れるよ。
展示されている人と物
改革開放から、開拓を経て、だんだん現代に近づいてくるにつれ、見覚えのある製品が歴史的資料として登場してきます。
博物館の展示のなかに、見覚えのある製品が歴史的資料としていきなり登場してくると人はビビります。
そして、たくさんの女工さんが手を繋いで写ってる写真や、女工さんの手帳や持ち物、展示されている製品を見てると、前日に @tks が案内してくれたSeeedやGenesisで働いてた女工さんや製品とオーバーラップしてきて、「いま俺は深圳の歴史を俯瞰的に見ていると思ったら、いつの間にかその歴史の中に、自分が過去に使ってたテレビやプリンターやビデオデッキ、ケータイ、スマホ、そして昨日、工場で出会った人や街の人たちを発見してしまい、つまりそれはこの歴史的展示物に接続された自分を発見してしまう」という再帰的な体験が生まれてくるので、ぞわっと鳥肌が立ってきたわけですよ。
深圳は今まさに最先端走ってるヤバい都市って評価を受けてますけど、この展示見たあとで、深圳の街や人や工場を見たときに、むしろ長い歴史の中の一地点として、そして産業を通じての日本に生まれた自分との関係性の中で、観ることができるようになると思う。そうすると、深圳の最先端の様相の中に、30年間の蓄積を想像できるようになる。
クールなことをしていれば世界のほうが勝手に変わる。
— 高須@深セン書籍メイカーズのエコシステ厶 (@tks) 2017年5月5日
誰かと比べたり嘆いたりしてもしょうがない。
深センやシンガポールに人が集まりつつあるのはそこが価値を作ったからで、どこかの価値を削って持ってきたからだとは思わない
深圳改革開放30年分の蓄積に想像を働かせながらこれを読むと説得力を感じる。
オススメです。